そこは、この世のどこよりも、一人一人の人権を尊重してくれて
一人一人に向き合ってくれるところでした…
「うつ病」の項で書いたとおり、激務により(?)体調を崩してしまった私。なにしろ、仕事に行けなくなる直前まで毎晩遅くまで残業していたのですから。しかも、期限のある仕事です。期限までに膨大な資料を提出しなければならない・・・それはそれはプレッシャーでした。でも「重要な仕事を任されている」という誇りがありました。そして、その仕事が終わったら大阪出張だ! その大仕事が終わったとたんにガックリいかないように! と気持ちを張り詰めて、忙しいながらもとても充実した日々を送っていました。
ところが、急遽出張が取りやめになってしまったのです。「他のところに旅費をぶん取られたからだめだよ」とあっさり却下。当然、納得がいくはずがありません。毎日必死に働いて、出張を次なる目標として頑張っていたのに、目標を失ってしまった・・・。緊張の糸がプッツリ“切られて”しまったのです。
膨大な資料を無事提出し終わったところで私を襲ったのは「うつ」でした。眠れなくなり、食べられなくなり、何に対しても無気力になり、出勤しようとしても布団に縛り付けられたように体が重く、起き上がることができませんでした。夫に職場に連絡してもらい、とりあえずその日一日は仕事を休むことにしました。が、その日を境に私は仕事に行けなくなってしまったのです。
当時の私は「仕事の目標を失う=生きる目標を失う」でした。今にして思えば、私はそこまで“仕事人間”になっていたのか・・・何のためにこんなに突っ走っていたのだろうか・・・そう思うのですが。おそらく「女だからって、下っ端だからって、見くびるなよ!」(いつまで経っても職場で最年少)という思いがあったのでしょうし、「一家の家計を支えている」という気負いもありました。常に、肩に力が入りすぎていました。そしてどこかで、こんなに頑張っている自分を「認めてもらいたかった」のです。それに、私の良い癖なのか悪い癖なのか分かりませんが、私はどんな仕事でも責任と誇りを持ってやれるんだ! という自負があるのです。
「生きる目標」を失った私が衝動的にやってしまったのは“大量服薬”でした。普段から飲んでいた抗不安薬(飲み忘れなどでかなり余っていた)を、何錠だか忘れましたが一度にあおったのです。そうして意識が朦朧としたところでカッターを持って風呂場へ行き、手首を切りました。後先を考えない、自暴自棄な行為でした。が、その割にはカッターの刃を新しいものに取り替えたりしている・・・冷静なんだか錯乱しているんだか。
ところが、その現場を2番目の娘に目撃されてしまったのです。娘はさぞショックを受けたことでしょう。もしかしたら今もトラウマになっているかもしれません。私はハッと我に返りました。この子たちのために、死ぬわけにはいかない。娘は「ママ、やめて! わたし、ママがいなくてもがまんするから、びょういんにいってはやくびょうきなおして!」と泣きながら叫びました。当時まだ小学校にも上がっていなかった娘の、必死の叫びでした。
私は初め、精神科に入院することに対して抵抗がありました。だから自宅療養でなんとかならないか、と思いました。しかし、家に居たって家事もろくにできない状態。散らかった部屋を見ているとどんどん精神がすさんでいく・・・。そして、音・光・におい、あらゆる刺激が頭に突き刺さる感じがしました。本当に痛いんです。脳がすべてを拒否している感じがしました。もうだめだ・・・。私は、入院を決意しました。
バタバタと“入院グッズ”をバッグに詰め込んで、紹介された病院へ駆け込みました。精神保健福祉法で定められている精神科への入院形態には3種類あり、1つ目は「措置入院」(自傷他害のおそれのある患者を強制入院させる)、2つ目は「医療保護入院」(保護者の同意で入院させることができる)、3つ目は「任意入院」(本人が同意して入院する)です。私の場合は自らの意思で入院を決めた「任意入院」でした。これは、本人が希望すれば自ら退院の時期を決めることができ、不当に入院を長引かせたり隔離したりなどということはできないことになっています(もちろん、病状にもよると思いますが・・・)。
持ち込みの薬はすべて病院預かり、そして刃物を持ち込んでいないかという簡単な荷物の点検がありましたが、「人を人とも思わないような扱い」はまったくありません。精神病院というと、どうしても“鉄格子”のイメージがあると思うのですが、そんなものは私の入院した病院には転落防止の柵以外にはありませんでした。
「入院のしおり」にはこう書いてありました。「この病棟には、心の傷を抱えた人々が多数入院しています。そのため、私たちスタッフは皆さんが安心や安全という感覚をとり戻すことが大切、と考え病棟を運営しています。」とにかく、仕事のことなんか忘れて、子育てからも少しの間解放されて、ゆっくり休もう、心に安心感を取り戻すために。
入院して最初の頃は、デイルームに出て行くこともせず、ただただ布団にもぐりこみ、あらゆる刺激をシャットアウトして過ごしました。ひどい不眠に悩まされ、夜中にナースステーションに駆け込み眠剤をもらうことも何度もありました。しかし、薬が効かない。まったく、と言っていいほど効かない。朝まで一睡もできないこともしばしば。なぜ?
そのたびに看護師さんたちはじっくり話を聞いてくれ、私は、心の奥深くに溜まっていた、今まで誰にも言えなかった悩みを打ち明けました。誰にも言えなかった辛いことを洗いざらいぶちまける・・・それは想像以上に苦しい作業でした。パニック発作をその晩のうちに2回も起こし、死にそうになりながらも、ぶちまけました。涙がたくさん流れました。頭はガンガン痛むし、息ができない。死んでしまう!
それでも「薬は出さないからね、その代わり、とことんぶちまけなさい!」と当直のベテラン看護師さんは言いました。発作で疲れ果てて、自力で自室に戻れないほど消耗し、それなのに発作の後の興奮状態が覚めやらず、結局、朝まで眠れませんでした。
ところがその日を境に、ガンコな不眠から解放され、薬なしで眠れるようになったのです。眠れた! 久しぶりに眠れた! それも薬なしで! もう「感動」のひと言に尽きました。その時言われた言葉・・・「本当に悩みを抱え込んでいるうちは、薬なんか効かないんだから。だから、いつでも話しに来てね。絶対、我慢しないで。溜め込んじゃダメだよ」そして、真夜中にもかかわらず、心の不調を訴えてやってくる患者さん(私を含む)ひとりひとりに丁寧に付き合ってくれ、ひとしきり話し終わると「話してくれてありがとう」と言ってくれるのです。悩み事を聞いてもらったうえに「ありがとう」だなんて・・・そんな体験、今までしたことがありますか? これほどまでに、ちっぽけな一人の人間を大事にしてくれる所が、他にあるでしょうか? 病院は「居心地のいい、安らぎの場」でした。
それに、今まで(子供の頃から)ずっと、自分を抑えて抑えて生きてきたことにも気づきました。誰にも褒められず、認められず、「もっと頑張れ頑張れ!」と言われて育った子供時代。「お父さんを怒らせないでちょうだい」と母に常に言い聞かせられ、大人の顔色をうかがってオドオドしていた子供時代・・・。
私は時折、社会の中で「生きづらさ」を感じることがありました。「私はそこいらへんにいる小市民とは違うぞ!」というバカバカしいとも思える気負い・・・その一方で「私は他の人と違う。普通じゃないんだ。私が意見を述べたらみんな私を変人扱いするに違いない」という不安にさいなまれていた・・・まったく矛盾する2つの心が同居していました。今までも、ずっと市の施設でカウンセリングを受けてきて、そこで自分がいわゆる「アダルト・チャイルド」である、ということをうすうす感じてはいました。それが、入院という体験をして・・・じっくり本気になって話を聞いてくれる、私の「普通じゃない」(と自分では思っている)思いをそのまま受け止めてくれる人たちに巡り会えた・・・そんな体験の中で、ハッキリと「自分はアダルト・チャイルドだ」と自覚しました。かといって、親を恨んでも始まらない。これからどうやって社会に適応していくか、どうやって自分の気持ちをうまくおもてに出していくか、どうやって自分を褒めて認めてあげるか、ということが今後の課題になりました。
私が入院したのは、私のような「うつ病」や「摂食障害」「統合失調症」「アルコール依存症・薬物依存症」などの患者さんが主に入院している病棟でした。二人部屋で、同室の女の子は統合失調症でした。しかし、どこから見ても「ごく普通の、どこにでもいる元気な女の子」にしか見えないのです。彼女は身のまわりのことも自分できちんとしていました。週末になると外泊許可をもらって家に戻ります。それなのに、もう1ヶ月も入院しているというのです。彼女が言います。「みんなが自分の悪口を言っているように感じてしまって、幻聴も聞こえて・・・」私も聞き返します、「今もそういう気分になったりするの?」「うん・・・調子がいいときと悪いときがあって・・・」それでも彼女は“新入り”の私にかなり気を遣ってくれていることが、伝わってきました。
また、別室の摂食障害らしい茶髪の女の子は、顔を合わせると「こんにちは〜」と気さくに声を掛けてくるのでした。彼女らばかりではありません。みんながみんな、とても「いい人」なのです。私が思うに、この人たちは人間関係の中で周りに気を遣いすぎて心を病んでしまったのだろう、と。社会的に「とても好感が持てる、いい人」と言われている人たちほど、心を病んでしまうのだと。
私がうつ状態を脱し、どんどん回復し始めたころ、同室の女の子が退院。「ちょっと自信ないんですけどね・・・」と言いつつも、退院していきました。そのころ、私に対しても、主治医から「外泊を繰り返してみて自信がついたら退院を考えてもいい」との話がありました。私は、正直悩みました。まだ、退院して、家で、職場でうまくやっていけるか自信がない。再び不眠状態になりました。そして、また真夜中にナースステーションに悩みを打ち明けに行きました。すると、「先生がそう言ったからって、焦ることはないんだよ。退院の時期は自分で決めていいんだよ。すっかり自信を取り戻してからでいいんだよ」とのこと。そうなんだ! 私は「任意入院」の意味を再び考えてみました。自分の意思で入院し、自分の意思で退院する。それだけのことなんだ・・・
そんなある日、朝起きると体が軽く感じました。動作もいつもよりキビキビしているようにも感じる。なんだか久しぶり、この感覚。もう大丈夫かもしれない、退院しても。でも念のため週末に外泊してみて、自信を付けてから退院の日取りを決めることにしました。
そして週末。もう子供の声が頭に突き刺さるような感じがしない。掃除も洗濯も、買い物も料理もできる! 今度の水曜日に退院したい、と先生に言おう。
予定通り、私は水曜日に退院しました。今まさに病院を去るという時、ナースステーションに挨拶に行くと、看護師さんが言いました。「退院したからと言って『ハイさようなら』ではないからね。悩んだら、また話をしに来て。電話でもいい。いつでも相談に乗るからね」・・・私はその看護師さんとガッチリと握手を交わしました。胸に熱いものがこみ上げてきて、言葉になりませんでした・・・
その後、約2週間の自宅でのリハビリ期間を経て、私は職場復帰を果たしました。
入院してみて分かったこと。それは、精神を病んでしまう人はみんな優しくていい人なんだ、ということ。優しさゆえに、周りに気を配り、くたくたに疲れ果てて倒れてしまう。
でも私の場合はちょっと違うかも知れません。どんな仕事でも責任と誇りを持って、全力で取り組みたい、という思いが根底にあり、それはアダルト・チャイルドであるがゆえの、過度の「認められたい願望」「見捨てられることを極端に恐れること」から生じるものであって、そのためなら自分を犠牲にしても人に尽くす、そして疲れ果てていく・・・それは本当の「優しさ」ではないんだな、と。でも、そんな自分を変えられない。闘いは続く・・・。
社会の中で、人間関係の中で、生きていこうとした時、誰でも必ず「疲れ」を感じるはずです。疲れない人なんかいない。誰でも心を病む可能性はあります。だから、心を病んだ人たちは決して「特別な人たち」ではないのです。体を使いすぎると病気になるのと同じで、心も頭も使いすぎると病気になる。ただそれだけのこと。
何か事件が起こって「犯人は精神科通院歴があった」などと報道されるたび、胸が痛みます。「アタマがおかしいから事件を起こす」んじゃないんだ。おかしくない(と思っている?)人だって事件を起こす。むしろ、精神障害者の再犯の確率はそうでない人よりも低いというデータがあるそうですから・・・。
この世の中はまだまだ精神障害者に対する誤解と偏見、差別に満ちています。私は自らの体験を公表することで、精神病院とはもっと気軽に行ってもいいところなんだ、特別な人だけが行く所じゃないんだ、精神を病んだ人は特別な人たちではなく、ただ単に心が疲れてしまった人たちなのだ、ということを広めていきたいと思っています。
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